文人郷

スポット一覧
スポット情報を投稿する
文人郷HP
名 称本郷小学校跡・文京区立第四中学校跡(ほんごうしょうがっこうあと・ぶんきょうくりつだいよんちゅうがっこうあと)
紹 介

本郷小学校跡

 明治8年(1875)6月、本郷小学校は、「第四中学区公立小学本郷学校」として認可され、翌9年1月20日開校式を挙げた。文京区内の公立小学校では、4番目の設立である。

 場所は、旧本郷元町2丁目60番地で、開校当時はわずかに教室7、職員3名、児童30名であった。女流作家樋口一葉が短期間入学したのは、開校の翌年の3月であった。

 明治15年2月火災により類焼し、校舎焼失。応急措置として仮校舎を旧元町1丁目3番地に建て、授業を開始した。翌16年2月、旧本郷本富士町3番地の東京府有地251坪(約828平方米)に、23教室を新築してここに移った。その後しばしば敷地の拡張、校舎の増築を行い、明治35年には、在籍児童1,200名、職員24名、書記1名を有する大規模校となった。

 大正元年、帝国大学敷地の一部148坪(約488平方米)を買収して、同2年校舎の大改築を行ったが、その校舎は、昭和20年3月の大空襲により全焼した。昭和21年3月31日廃校となり、71年間の歴史を閉じた。

 教育内容も充実し、多くの人材を養成した名門本郷小学校は、今はなく、ここに残るものはわずかに、左手のレンガ造りの塀だけである。

 跡地に、旧区立第四中学校の校舎が完成したのは、昭和27年10月である。

文京区立第四中学校跡

本郷7-1-2

 区立第四中学校は、戦後の6・3制発足により昭和22年5月1日、当時の元町小学校内に開校し、翌23年湯島小学校内に移転した。

 昭和27年10月、現在地「旧本郷小学校跡」の区立中学校として最初の鉄筋3階建て新校舎に移転した。

 「けだかきすがたみ山路のごぜんたちばな胸に咲き」で始まる校歌・校章のゴゼンタチバナは、高山の厳しい自然にもめげず、気品高く清潔感に溢れるという意味を持った高山植物の花、そのような生徒に育ってほしいという地域や保護者、教職員の願いのもと、平成9年度までに7,642名の卒業生を送り出した。

 平成10年3月、年少人口の減少に伴う文京区立小・中学校第一次適正配置計画により、第四中学校は、区立第二中学校と統合し、50年の歴史に幕を閉じ、その歴史と伝統は、平成10年4月に開校した本郷台中学校に引き継がれている。

情報提供者

文京区教育委員会

本郷小学校

第四中学校

(C) 2015 Bunjinkyou. All Rights Reserved.